きらいな季節
初めてpcから書いてみる。
今週末から本格的にずっと雨が続く予報、いやな季節がやってきた。
よく考えてみたら、毎年必ず同じ時期に連続して雨が降るってすごいな。地球すごい。
正直こんなに切り替えがきかないとは自分でも思っていなかった。
あれから2年以上、ほんとにまさか。まるで他人事のようにいうけれど。
どんどん自分への圧かけが下手になってきている気がするし、「自分は大丈夫」なんてやっぱりなかったんだと思い知るのは時が来てから。
そんなもんだよな。。ここまできてまだ現実味を感じられないなんて。
辛さや恐怖や不安に鈍感になってしまっただけかもしれない。実は快方ではなかったのかも。

気づき
理不尽なことを言われた気がする。
「 前を歩く人が小銭を落としたから」
「うん」
「拾って懐にいれた」
ここで冗談を聞くモードでいつものわたしの文字にならない相槌笑いをする。
そしたら
「人としていけない行為をしてたら、笑ってないでちゃんと怒ってよね?」
いったいどういうつもりだったのか。
どういう意図があってそんな話をしたのか。
訳が分からず、とりあえず冗談だと思ったからとだけ返事した。
頭の中に正論しか浮かんでこなかった。
そんな人として最低限ダメだとわかってる行為は自分で分別するべきなのに。子供じゃあるまいし。人に正してもらおうとするなんて。
そんな行為をする人だと、自分が思われていると思っていたのか。(あるいはわたしがそばにいる人のことを、そんな風にみていたと思っているのか)
何故自分がそんな最低常識のない人間だと思われていると考えるの?と感じるような言動は過去にも何回かあった。(詳細には覚えていないが)
これが自己肯定感の低さゆえということなのか。
こういうとき、わたしは次の日まで(一度寝て起きるまで)気持ちの切り替えができないことに気づいた。
モヤモヤしたまま、口数が少なくなって、笑わなくなって。
沈んだ状態から戻れない。心的にならいいのだが、みぞおちだか胃だか心臓だかなんかそこら辺がグッとなって、体調にすぐ影響がでるというのがいちばん困っている。
こればかりは他人でなく自分自身への不満。
決して自分のモヤモヤは相手に伝えない。伝えられない。 (相手の状態的に今は特にと思う部分もある)
生活を共にするというのにずっとそうではだめかなと思い、一度挑戦したことがあったが、自分のモヤモヤが晴れるどころか空気が悪いまま何も解決等しなかった。
喧嘩するほど仲がいいという言葉が本当に嫌い。
■
日記の書き出し
従業員から扶養に関するいろいろな質問を受ける。
通信教育で社会保険について勉強中だが全く進んでいないので知識が更新されない。
むずかしいなあ…
最近新しく知り合った人が、毎月ご飯に誘ってくれるのでそろそろかなと思い人付き合いを再開。
会ってみたらなんてことない、だいたいはそんな感じだ。
根本は解決してないのでゆっくり向き合うのか向き合わないのかを考えるのか考えずただ過ごすのか。
頭の中では毎日毎日毎日毎日考えごとをしているので、まとめてみたいのに目に見える形にできない。そこから巡り巡ってもっと本を読もう
という考えに至る。(語彙力を身に付けたい云々で)
SNSをやめてから果たして健全な精神状態になったかというと、ほぼ効果はない。
何故ならやめる直前の状態で脳内が固まっているので、何一つ排除できていないし新鮮を取り込めていないから。
なんだよ
野菜のピザ
いつものように土曜日に実家に帰って母親とヨガに行き、日曜に送ってもらう。
3日は自宅近くまでわたしが運転して、お昼にイタリアンのお店に入る。
店長ぽい人1人でまわしていて忙しいのか接客に棘があった。
ピザを頼む。母はパスタ。
スープとサラダとドリンクが付いたランチセット。
おばあちゃんとおじいちゃんのことを聞く。
「おばあちゃんたちってお母さんが子供の頃から仲悪かったの?」
『そうねー、おじいちゃんが好き勝手しておばあちゃんが何も言わずにずっと耐えてる感じだった。お母さんはおばあちゃんのこと、可哀想だなーっていう目で見てた。』
「ふぅん…」
わたしが知っているおじいちゃんのイメージ通り、昔からそうだったらしい。
自分1人だけ好き勝手遊んで家族はぞんざいに扱う。
自分が家の中で一番偉いという態度。
おばあちゃんは(少なくとも自分の子供の前では)文句を言わずひたすら耐え続ける。
おじいちゃんの愛人のような人から無言電話がかかってきたこともあるという。
話を聞きながらこれは前にも聞いたかもとなんとなく思った。
お父さんは養子なのでもともと肩身がせまい上に、おじいちゃんにはいろいろ文句を言われてきて、精神的苦痛から朝起きられなくなったり忘れ物を頻発させたり、あげく酒によって事故を起こして、(お母さんはそのとき初めてお父さんと喧嘩したらしい)
そんなこと言ったって
台風がどうやら本格的に直撃しそうで怖い。にも関わらず休みにならなかった明日に備えて早く寝支度しないといけないのに、日記書いてる。
やっぱり仕事中、そんなに忙しくないときは本当にいろんな考え事をしてしまう。締め日やらで多少することの多い日は、比較的淡々と過ごせる。
考え事の際、何かにつけて浮かんでくる映画の台詞がある。アフタースクールの「お前がつまらないのはお前のせいだ」というのと、図書館戦争の「正論は正しい。だが正論を武器にする奴は正しくない」というもの。楽しく生きられていないことを思う時、理不尽について考えている時、最近必ず出てきて自分のなかに居る"立派さ"の仮面をつけた人が、斜め上からその言葉をふりかけてくる。その度にうあああとなってまたぐるぐる苦しくなっていく。
そんなこと言ったってしょうがないじゃないかとそのまんま発音したくなる。情けない。
もうひとつ、最近思い出してよく分かるなあと感じた台詞が、メゾンドヒミコの「欲望が欲しいんだよ、何でもいいんだよ」。
わたしはこのシーンの前後の言葉からも、"愛する人の死が迫っている恐怖をとにかく搔き消したい衝動"によるものだと受け取っていて、今自分が、動画や映画や本や音楽やと、とにかく何かしらの情報を常に入れ込もうとしているような状況の要因が、何か自分のなかの不穏なものを誤魔化したいからなんだろうなと、ああきっとこういう感覚か、と最近ふと気付いた。
そうやってずっと頭にこびりつく言葉には、今は苦しめられたりすることが多い。
そういう時期だろ、ぐらいでいるけど。
うまいもの
眼鏡をかけるのは嫌いだけど、ブルーライトカットの眼鏡を買った。デスクワークに加えて、自宅でもひたすらスマホ画面を眺める日々なので、何となく目の健康に気を遣ってみた。何となく、疲れにくいような気がする。
もう似合う似合わないなんて気にするか、好きなものを身につけるんだ、と開き直っておそらく似合っていない深緑の丸め・大きめの眼鏡にした。
わたしの不調を気にしてくれる友達と、ご飯に出かけた。ちょうど不調がひどいときに約束をしていたのを一度キャンセルしてもらっていた。
しんどい日々を改善しようと、とにかく楽しいことをしまくって自分を癒すことだけ考えるために、一人ではわりと出かけたりしていたので、キャンセルしたのを申し訳ない気持ちで過ごしていた。ご飯の約束を果たして解放されて少し楽になった。
それとは関係なく、昔から"約束"した人に会いに向かっている時間中になぜか憂鬱な気分になってしまう。
今回ご飯に行った友達から「鉄は体で作ることのできない成分だから、摂取しないとだめだよ。野菜とかよりも肉をもっと食べた方がいいんじゃない?」というアドバイスを受けて、個人的に本当に目から鱗だった。
健康=野菜だと思っていた。もちろんバランスの良い食事として肉も必要なのは分かっていたけど、とにかく今のわたしには野菜なんだとばかり思っていた。肉を食べて精をつけるという発想がなぜかなかった。それも偏見の塊であるわたしならではの思考だ。
人に会うのに結構な労力が必要で、最近は特に仲の良い人にも会いたくなかったけれど、こんな何気ない人との会話が自分の偏見を打ち砕いてくれるんだよと、思い知らされた気分だった。
頭でぐるぐる考えていることの大抵は"結局、人生は人との関わりだ"に落ち着くので、きちんと目を向けようと思った。
ずっと出来るだけ広い世界を見ていたい。
何にしたって、いつ何時もうまいものはうまくて、それだけでいくらか元気になれる。